初夏の香り ウイキョウ

 初夏の快い風にふさわしいのがウイキョウの香りです。

 もともとウイキョウはヨーロッパ産の植物ですが、日本には医薬用としては平安の昔から使われています。しかし、植物として入ってきたのは江戸時代のようです。現在では北海道、長野、鳥取などでわずかに栽培されておりますが、大部分のウイキョウは輸入で、中国産がかなりの量を占めております。

 ウイキョウはフェンネルとも呼ばれ、せり科の植物で、種子を使います。医薬品というよりも食品・香辛料のほうが主役で、日本の収穫量の90%は食品向けです。

1.爽やかな香り ウイキョウの伝来

 ウイキョウは今日でこそ、大部分が食品として使われていますが、もともとは医薬品原料として日本に到来しております。世界における薬としてのウイキョウはアロエと同じように紀元前から、古代文化圏で使われてきたといいます。薬の原料としてウイキョウの種子は、「新修本草」(中国659年刊)に収載されておりますので、東洋医学の世界でも古株に入ります。「新修本草」という書物は日本へは奈良時代731年に来ており、この本は国宝に指定されております。日本の国宝のうち、医学書は5点あり、そのうちの一つが「新修本草」です。このウイキョウはカイキョウシ(懐香子)という名前で出ております。これが日本の本草書に掲載されたのは平安時代です。

 漢方だけでなく、東西両世界のエッセンシャルドラッグ(医療用必需薬品)であったのです。ウイキョウという名前が、そもそも洋風なのですが、漢字で書けば立派な漢方の原料です。日本では平安初期の昔から胃腸薬には欠かせない成分になっております。当時の和名は「くれのおも」で、これを紀貫之が古今集に詠っております。

2.ウイキョウという植物

 ウイキョウの学名の一部フェニクルムというのは枯草という意味から来ているのだそうですが、これは、せり科植物の特徴で、直立した細い茎が遠くから見ると枯草のように見えるからだといいます。

 花そのものもせり科的で、初夏に小さな黄色い泡のような花が整然と散らばって咲き、草全体から爽やかな香りを放ちます。ここにウイキョウを詠った2句を紹介します。

  • 回香の実を吹き落とす夕嵐 向井去来
  • わが世さびし身丈おなじき回香も薄黄に花の咲き初めにけり 北原白秋

 江戸時代、明治の古句ですが、いずれもウイキョウの植物の姿が分かるのではないかと思います。北原白秋と同じ背丈ならウイキョウの背丈は2メートル近くにも伸びているのです。なよなよとした姿で嵐にゆれている様子も分かります。

 与謝野晶子ほかによる沢山のウイキョウの句が残っているということは、あちこちに栽培されているウイキョウが歌人の目に付いたのでしょう。

 香辛料としてのウイキョウは生臭さを消すにはもってこいの香辛料で、魚料理には欠かせないといいます。もともと回香という名前は鮮度の落ちた魚の香りをもとに返(回)すからつけられたという説もあるくらいです。この用途も、薬と同様、世界では紀元前からの歴史があります。

3.せり科の植物は薬用・食用に多い

 ウイキョウの仲間であるせり科の植物は医薬用、食用にはいろいろ使われております。代表的な生薬・植物を並べてみましょう。

 トウキ(当帰)  センキュウ(川芎) ボウフウ(防風) アシタバ  セロリ ニンジン(食品用の紅いニンジン、高麗ニンジンではない) ミツバ  ウド

 せり科植物の特徴は花の形、いわゆる直立した茎に複散形花序といって傘を広げたようにいくつもの小さな花の集団をつけることです。さらに、精油成分を含み香りがきついことも共通しています。食卓のセロリやニンジンを思い起こしてください。花粉症、鼻炎で目下、大活躍しているインタール(クロモグリク酸)の成分もせり科植物由来です。

 せり科には薬用植物が多い一方、有毒植物もこの科には少なくありません。たとえば、ドクニンジンです。BC4世紀、古代ギリシヤの哲学者ソクラテスは、死刑の判決を受け、このドクニンジンエキスを飲まされて命を絶ちました。古代ギリシヤでは罪人を毒殺するのにドクニンジンを用いていました。

4.ウイキョウの薬への応用

 ウイキョウの医薬での主たる領域は胃腸薬です。数多くの内服胃腸薬には、健胃剤としてウイキョウが配合されております。いわゆる芳香性健胃薬ですが、消化管に働き、腸の運動を高める作用があると説明されています。一方では血管、腸管平滑筋に対して抑制作用も呈します。これらはウイキョウの主成分であるアネトールの働きによります。

 漢方では、ウイキョウは古来、胃腸薬の代表的な処方である安中散(あんちゅうさん)に配合されております。胃腸薬のほかに、鎮痛・鎮けい、鎮咳去痰にも使われます。

5.入浴剤としてのウイキョウ

 ウイキョウの薬用部位は種子で、主要成分はその精油にあります。種子には3~8%の精油が含まれており、その主成分がアネトールで、50~60%を占めております。ほかに、ピネン、ジペンテン、リモネンほかにビタミンA、アスコルビン酸などを含有します。この精油成分は、香水の原料にもなり穏やかな香りの原点になります。

 入浴剤としては、この香り成分を活かしております。爽やかな香りには欠かせない材料の一つですが、延寿湯温泉では、もっとほかにチョウジ、龍脳、樟脳ほか、沢山の芳香成分が含まれているので、残念ながら香りとしてのウイキョウは影に隠れております。延寿湯温泉につかりウイキョウの配合を分かる人がいるとすれば、その方の嗅覚は立派です。

 延寿湯温泉の特徴で何べんも出てきますが、精油成分はアロマテラピーとして、脳に働き、心を休めるのに効果的で、それがストレス発散にも良いと言われています。

<参考文献>

牧野和漢薬草大図鑑、北隆館(2002)
高木敬次郎監修:漢方薬理学、南山堂(1997)
第十四改正日本薬局方解説書、広川書店(2001)
塚本邦雄:百花遊歴、文芸春秋(1979)