入浴を楽しんだ古代の人たち

 古い古いお話です。村の人たちが温泉に入浴して楽しむ姿は、今から1300年前に編纂された出雲風土記に出てきます。わが国が世界でも有数の温泉国であり、古い古い昔から、人々が入浴を愛していたことが分かります。

 はじめに1300年前の温泉入浴の場に皆さんをご案内しましょう。

 1300年前というと、「日本」という国が生まれたばかりです。法隆寺は出来て間もないのですが、東大寺はまだ出来ていません。このころ、聖徳太子は既に亡くなっていますが、万葉集の時代に入り、山上憶良が、お役人・歌人で活躍しております。

 山上憶良が当時の暮らしの姿を万葉集に歌っています。

 「綿も入っていない布の海草のようにぼろぼろに裂けてしまったボロばかりをば、肩にひきかけて着て、掘立小屋の蒲鉾小屋の中に、地べたにじかにワラをしいてお父さんや、お母さんは、自分の枕のほうに寝させて、女房子供などは足元に寝かして・・・ご飯を炊くこしき(米を蒸す勝手道具の一種)にはクモが巣をかけているような塩梅で」と、これが当時のお役人さんの暮らしぶりです。

1.玉造の温泉の様子

 出雲というと島根ですが、玉造川のほとりに出ている温泉の様子を風土記は紹介、厳密に言うと中央政府への報告ですが、細かく描写しております。

 「温泉の出ている場所は海辺ですが、山あり海ありの景色のいいところです。

 温泉には男も女も年寄も若者も集まってきています。村の街道や小路をぞろぞろ歩いて引きもきらず、温泉に出かけてきます。温泉の近くでは、マーケットが出来たように、人が溢れています。そして、集まって来て酒盛りして騒いでいます」

 温泉はちょうど今のリクレーションセンターだったのです。

 飲んだり食ったり楽しんで、そして温泉につかります。飲んで温泉につかるのは健康には良くないのですが、当時の酒のアルコール濃度はさほど心配しなくてもいいでしょう。

 「温泉につかると、姿も顔もきりりと引き締まって、容貌は立派になり、さらに、温泉に何度もつかると、万病は消えうせて、素晴らしい効能が現れます」

 このような風土記の報告を読んでいると、庶民の温泉の入浴を楽しむ姿が目に浮かんできます。玉造の温泉は辺鄙な農山村にあったのでしょう。村の人たちの様子は活気に溢れています。温泉を楽しむ庶民といえば、今日と少しも変わるところがありません。

2.漆仁の川の温泉

 出雲風土記にはもう1箇所温泉が出てきます。漆仁(しつに)の川の温泉と書いています。ここの温泉の報告は次の通りです。

 「漆仁(しつに)の川の付近に薬湯があります。この湯に一度つかると、たちまち身体はやわらぎ、おだやかになり、二度 入浴すればたちまち万病は消え去ってしまいます。男も女も、老いも若きも夜昼休まずぞくぞく温泉に集まってきます。温泉の効用を皆が知っています。ですから、土地の人たちはこの温泉を薬湯と呼んでいるのです」

 この二つの温泉入浴記事で注目されるのは薬効です。ちゃんとした医療施設もなかった当時のこと、温泉の入浴は治療手段の一つとして重視されていたようです。しかも、万病にいいとまで言っております。身近な温泉が利用できたということは、確かにありがたかったでしょう。浮かれて踊るのも無理ありません。

3.1300年前の医療

 薬湯の歴史がわが国では意外と古いことがわかりました。当時の医療は、まだ一般には医療(医師など専門家による診断・治療)があるというよりも、民間医療の段階であり、自らが患者であり、医師でした。疾患の治療に温泉を使ったのは、一説には動物が使っていたからという伝承ありますが、薬用植物でも同じこと、効果を認めて祖先から伝わってきた経験の積み上げが、始まりです。

 大陸から仏教とともに伝来した中国の医学は、中央の奈良の都において上層部にようやく広まり始めました。

 出雲風土記には出雲で産出する薬用植物をあげております。これらは、中国伝来の医学書に記載されているものと、ほとんど同じではありますが、わが国独自の民間医療由来による可能性も否定できません。薬用植物というのは、それぞれの国独自にあるものの、結局は共通している、そういう性格があります。

 そのいくつかをあげてみます。

麦門冬(ばくもんどう)、独活(どくかつ)、せっこく、黄精(おうせい)、白朮(びゃくじゅつ)、苦参(くじん)、細辛(さいしん)、五味子(ごみし)葛根(かっこん)

 これらの薬用植物は今日でも日本薬局方、公定書に収載されて、医療現場で使われております。

4.大同類聚方の薬用植物

 大同類聚方(だいどうるいじゅうほう)という本は808年、風土記の100年後に編纂されたわが国の古代の医療、薬物をまとめた最古の医学書です。この本は原本がなくなってしまい写本で伝わっているため、今日伝わっている本は偽書、後世に作られた偽物であるという説があります。しかし、内容の全てが偽ではないというのが、最近の学説です。

 この書を唐突に持ち出したのは、先にあげた出雲の薬用植物が、いずれもこの書に取り上げられていますので、必ずしも中国伝来の医学のせいではなく、8世紀当時のわが国の伝統的な民間医療につながっているのではないかという意味からです。

 このような医療事情の中で、風土記にあるように温泉が薬湯として民間医療に広く利用されていたということは、注目すべきことです。

 入浴療法は民間医療の原点にあったのでしょう。今日、薬用生薬による延寿湯温泉を治療に使われている方が少なくありません。人間のすることは昔も今も変わらない、と1300年の昔、古代の人たちが疾病の治療に温泉入浴を大事にしていたことを、どうぞ思い浮かべてください。

<参考文献>

吉野裕:風土記、平凡社(2000)
槙佐知子:大同類聚方、平凡社(1985)
岩波日本史辞典、岩波書店(1999)
折口信夫訳:万葉集、河出書房新社(1988)