江戸の湯屋 入浴風景
18世紀から幕末まで、江戸の庶民は川柳を楽しみました。この時代の膨大な川柳が残されておりますので、これらから庶民の暮らしぶりを偲ぶことが出来ます。
あわただしい21世紀の世の中から離れて、今回は江戸時代の暮らしにしばし戻ることにしました。江戸はとくに庶民の溢れる町で、お風呂の好きな人たちが湯屋(ゆうや、江戸で初期は銭湯とはいわなかった。これは関西用語)に通いました。
ここでは川柳の出典を略し、一部は現代用語に変えております。
1.薬湯
- 薬湯は命の垢を洗いあげ
- 樽詰めに温泉も根府川の関越えて
薬湯は温泉の湯を使ったものと、延寿湯温泉のように生薬にて湯を沸かしたものがありました。温泉の湯を熱海や小田原から運んでくるというのは殿様だけの話で、庶民はせいぜい湯の花を入れるぐらいでした。生薬は、薬木、薬草が用いられ、木ではくこ、梅、桃、柳、桑、杉、梶など、草では菖蒲、よもぎ、おおばこ、はす、おもなみ、にんどう、くまつづら、はこべなどが用いられました。そのほかに、いちじく、うど、大根の葉、そば粉、松の葉、米ぬかなども利用されました。
薬湯は材料が高いので毎日変えこともできないため、1週間もそのままというところがあり、かなり不潔な薬湯もありました。江戸には疥癬など、皮膚病を病む人が多かったので、この人たちがお客さんですが、治療のために不潔も我慢して入っていたようです。入湯料は、普通の湯よりも高く、5割高でした。
- 薬湯の嫁は当分まずく食い
生薬を煮詰めた薬湯は結構独特の香りが漂ったので、食欲も減退したといいます。
- 薬湯の将棋ばんまで足イタミ
- 薬湯をのぞけばかるた切っている
- 薬湯につかる場合は、そそくさと入るのではなく、コースがあって、3、4度と入り、半日がかり、1日がかりだったといいます。その場合は、遊びながら入いるので、湯から上がって将棋をしたり、かるたをしたり、飲んだり食ったりしました。こうなると、銭湯というよりも、リクレーションセンターのような場所であったのでしょう。
2.菖蒲湯
今でも銭湯は、菖蒲湯やゆず湯をわかしてサービスしております。菖蒲湯は江戸時代には特に盛んであったようで、多くの句が見られます。
- においよし年に一度は菖蒲の湯
- 菖蒲一日風呂に漂う
- ほととぎすあやめのにおう湯やの門
その頃の江戸では町にホトトギスがいたようですが、今では環境保全の行き届いた里山しかホトトギスは来ません。生薬入浴剤 延寿湯温泉は生駒山の山麓で生産されていますが、この地は古来ホトトギスの名所で、いまでもシーズンには飛来します。
3.朝湯
朝湯は今日の銭湯では少ないのではないかと思います。通常は午後3時以降ぐらいに開業しています。ところが江戸の風呂屋は朝は早く、8時ごろには開業したようで、粋な人たちは朝湯に通いました。
- 朝湯には壱人か二人通りもの
- 猫足とみえて朝湯をやたらうめ
- 朝帰りよくあられやと風呂でいい
粋な人というのは、朝湯の常連で、いわゆる朝帰りの人たち、夜のお仕事の人たちでした。
昼の風呂には通常の女性は風呂に行きませんが、お金のある暇なご婦人が通いました。
- 銭湯へ器量じまんの夏昼中
4.ぬか袋と化粧水
石鹸は江戸時代にはありませんでした。石鹸なしの入浴は、つらかったであろう思うのですが、当時はからだを洗うのは「豆の粉」「米糠」で、女性の洗顔には顔を白くするというので「鶯の糞」が使われました。また、女性は化粧水として、「へちまの水」が使われておりました。
「へちま水」も、「鶯の糞」も今日でも一部では使われております。
浴場における米ぬかの消費量はかなりであり、使用済みの米ぬかは山になって捨てられていました。
- 二つ三つ浴衣の切れでぬか袋
- ぬか袋嫁かかとまでこするなり
- ぬか袋二番煎じで母洗い
- ぬか袋あけずにおけと母はいい
- 鳥の糞顔へべったりさぼんうり
- 名月に手伝わせたるけしょう水
へちまの水は8月15日、名月のときに採取するのが良いとされていました。
- へちまの水を大事がる嫁
銭湯でヌカ袋に代わって、化粧石鹸が普及しだすのは明治も後半です。
5.湯屋の風景
湯番・番台というのは今でも同じように大事な役目を担っております。何かと話題豊富なお仕事ですが、何よりも番台の目は治安維持に欠かせません。
- 男湯の番は嫌よと湯屋の嫁
- 湯屋の嫁商売物と思ってる
- まじまじとしてお内儀の湯ばんなり
- 毎日の事だに湯番どきどきし
男湯にはときどきどくだみ、ジュウヤクが登場しますが、次の句は意味が不明です。
- 男湯をこぼすどくだみの花
浴槽近くの床はぬるぬるで、歩くのも要注意でした。今の銭湯にはまず見られませんが、温泉では、ときどき滑る所があり、要注意の張り紙を見ます。
- どこいその湯屋の板の間すべり道
- せんとうで壱人相撲の気の毒さ
6.しまい湯
湯屋は江戸では夜8時の終業が定められておりました。今日では12時ぐらいまでは営業しておりますので、早い終業に感じますが、照明の発達していない当時のこと、それに江戸では火事が怖かったので、早めの終業となったのでしょう。8時近く、終わりごろがしまい湯です。遅い風呂とはいえ、疲れ快復にはやはり入浴でした。
- くたびれを抜く湯へ妻の急ぎ足
しまい時、風呂の客も少なくなると、お遊びも入って来ます。
- 銭湯の千秋楽に泳ぎだし
- 先湯のすいたときにはのたをうち
客の少ないしまい頃には、悪さをすることも出来たのでしょう。
- 夫婦してしまい湯へ行しつぶかさ
暗い湯屋のなか、男女混浴でもあり、悪さにもいろいろあったようです。混浴禁止は1791年松平定信の寛政の改革で出ておりますが、混浴こそは人類の自然の姿であるというので、禁止はたちまち浴客によって空文化されてしまったようです。
<参考文献>
花咲一男編:江戸の湯ウ屋、近世風俗研究会(1970)
山沢英雄選:柳樽名句選上下、岩波書店(1995)
今野信雄:江戸の風呂、新潮社(1989)