人生は沐浴から始まる

 関西の私鉄・地下鉄など交通機関は共通の乗車カードを発行しております。この共通カードを運営している団体が、例年、年末年始にかけて「日帰り湯~湯~サービス」といって近畿圏の温泉や、入浴施設優待のキャンペーンをして、日帰り入浴を誘っております。

21施設が参加しておりますが、各温泉・入浴施設のキャッチフレーズを2,3紹介しましょう。

アクセス至便 大人のためのオアシス ホテル阪神 

肌にしみこむお湯で のんびり湯治を 大阪 スパリフレ

京都駅前の知る人ぞ知る立ち寄り湯  京都タワー浴場

屋久杉の香りに包まれリフレッシュ  南海 千寿の湯 

いずれも都心にある入浴施設ですので、通勤帰りの人もお客さんなのでしょう。このチラシを読んでいると、風呂に入る目的というか、入浴の役割がいかにも、心身の癒しにあることが分かります。

お正月ですから、今回は堅苦しいことはやめて、文学作品に出てくる風呂・入浴の醍醐味を鑑賞してみましょう。

1.奥の細道 松尾芭蕉 元禄7年(1694年)

 芭蕉が「奥の細道」東北から北陸に来て、加賀の山中温泉に来たときです。温泉につかって次の句を詠んでいます。

 「山中や菊はたおらぬ湯の匂」

 山中温泉は、芭蕉も「奥の細道」で書いているように効き目は有馬並みの湯であり、天平年間に行基によって発見されたと伝えられる加賀の古い温泉です。芭蕉は奥の細道の行程の中で8日間ここに滞在しております。芭蕉の句につき、若干説明しておきます。ここでは岩波文庫の「奥の細道」の解説を引用します。

 「この山中の湯に浴しておれば、あの菊慈童のように菊を手折る必要は無い。あたりは霊効のある湯の香りで満ちているのだから」菊花というのは、現在も漢方の世界では使われております。また、菊酒、菊湯なども今日なお、暮らしの中でも見られます。要するに山中温泉は泉質がいいので、これにつかっていると薬は入れなくても良い、という意味になります。残念ながら、これでは入浴剤の出番がありません。このように菊を薬草として扱っているのが、この句のポイントであり、その意味を解しないと本句を鑑賞することはできません。

2.浮世風呂 式亭三馬  安永5年(1776年)

 お風呂の文学作品といえばこの式亭三馬「浮世風呂」の右に出る作品はないでしょう。たびたび、本欄で取り上げてきましたが、江戸時代の庶民がいかに入浴・風呂を楽しんだか、ありありと描かれております。銭湯の賑やかさが耳に伝わってくるかのごとくです。

「浮世風呂」の冒頭を紹介しましょう。一部で読みやすくするため、漢字、仮名遣いを変えております。

 つらつら鑑みるに銭湯ほど近道の教えなるはなし。その故、いかんとなれば、賢愚、邪正、貧富、高貴、湯を浴びんとて裸になるは、天地自然の道理。釈迦も孔子もお三も権助も生まれたままの姿にて、惜しい欲しいも西の海、さらりと無欲の形なり、欲垢と煩悩と洗い清めて上がり湯浴びれば、旦那さまも折助もどれがどれやら同じ裸体。これすなわち生まれたときの産湯から死んだときの湯かんにて、夕べに紅顔の酔客も朝湯にしらふとなるごとく、生死一重がああままならぬかな。(中略)

 すべて、銭湯に五常の道あり、湯をもって身を暖め、垢を落とし、病を治し、くたびれを休めるたぐい、すなわち仁なり。

 江戸人の愛した銭湯には、次のような注意事項が掲示されていました。銭湯は当時は数少ない庶民のリクレーションセンターでしたので、賑わいもひとしおだったでしょう。それだけに、規則遵守はうるさかったことでしょう。

  • 幕府の通達を守ること
  • 火の用心
  • 男女混浴の禁止
  • 風の強いときは火災防止のため休業することがある
  • 年寄り、病人は付き添いがいないと入ってはいけない
  • 衣類は盗難に注意
  • 入浴中の紛失には責任持たない

3.永井荷風 腕くらべ(1922年)

 東京の銭湯風景を「腕くらべ」の中で描いています。もともと荷風は風呂には関心大いにあって、日記である「断腸亭日乗」にもしばしば風呂のことは出てきます。以前にもこの欄で紹介したことがありました。この「腕くらべ」は大正年間の作品ですので、古きよき時代の一駒なります。ここでは原文を現代文に変え、漢字の一部も変えております。

 昼前の11時ごろ、ちょうど浴客の途絶えた日吉湯の大きな湯船をただ一人 我が物にして、いかにも心持よさそうに暖まっているのは、尾花家の主人呉山老人。ア・・・と遠慮なく大きなあくびと諸共やせ細った両腕抜けるほどに伸びをした後、高い天井の明かりとり窓から麗らかな冬の日の斜めに、まだ汚れぬ新湯の中へ差し込んでくるのを面白そうに眺めていた。折から、ガラリと表のガラス戸を開けて入ってきた四十面、色黒く首筋たくましく肩幅も広いのに・・・・大またに浴槽へ歩み寄りからだをしめしかけるところへ、中から呉山老人思うさま暖まってぬっと立ち上がる。顔を見てこなたは、「や」と無造作に書生風の挨拶。そのまま飛び込もうとしたが、ちと熱すぎて入りかねる様子。呉山はわざとあてつけたように「宝家さん、湯は銭湯に限るね、便利なようだが、家の風呂桶じゃ鼻歌も出ねえ。

 「お風呂考現学」の著者である江夏弘氏は、冒頭のタイトル「人生は沐浴から始まる」を著書のなかで論じております。もともと風呂の始まりが産湯であること、また、お釈迦様の誕生祝である4月8日の潅仏会には、誕生仏を安置して参詣者が甘茶を釈尊像にそそぎます。これが風呂と誕生・宗教行事とのつながりを示すものであると説明されております。すでにご紹介したように、東大寺、法隆寺、法華寺などには仏教行事とつながる大浴場が残されており、これらは信者にも利用できるようにされてきたということです。

 日本人はお風呂好きということで、風呂にまつわるエピソードもいろいろ語られておりますので、ご興味のある方はどうぞ。

<参考文献>

入浴の解体新書 松平誠 小学館 1997
お風呂考現学 江夏弘 TOTO出版 1997
神保五弥:浮世風呂、岩波書店 1989
萩原恭男校注:芭蕉奥の細道 岩波書店1979
永井荷風:腕くらべ 復刻 日本近代文学館 1973