温泉学 ご存知ですか?

 温泉学?あまり耳にしたことないかもしれませんが、それが今あちこちで話題になりつつあります。温泉学がブームとは、まさにこの「延寿通信」の目指すところで、ありがたい話です。本年5月に「江戸の温泉学」(松田忠徳)が新潮社から、そして6月には岩波書店から2冊、文庫で田山花袋の「温泉めぐり」が、別に桂博史「中国温泉探訪記」が単行本で出版されました。相次いで大手出版社から温泉の本が出るのは珍しいことです。温泉好きの方はぜひご一読ください。

 「江戸の温泉学」は、6月24日、朝日新聞の書評欄にて紹介されましたので、内容をご存知の方もおありでしょう。これまでの温泉の本とはやや異にしており、たしかに東洋医学を持ち出してきているところはユニークです。

 今回は本書「江戸の温泉学」をテキストとして温泉学に入門いただきましょう。

 はじめにお断りしておきますが、この「延寿通信」のテーマは温泉よりもモットひろく、入浴、風呂、銭湯、温泉、石鹸、入浴剤などを取り上げてきておりますが、温泉学というのは、言葉どおり、わが国の各地に点在する温泉のみが対象です。内容が限られておりますので、物足りない感じを抱かれる場合もあります。

 田山花袋の「温泉めぐり」は、読み方によっては「江戸の温泉学」とは違って、日本各地の明治・大正時代の温泉の様子が手に取るようにわかり、肩のこらない楽しい読み物です。田山花袋という温泉通の知識が伝わってきます。この本のことは次回以降に取り上げます。

1.温泉の大衆化は江戸時代

 温泉という言葉が生まれたのは江戸時代であり、それ以前は、単に湯とか、いで湯などと呼ばれておりました。温泉・湯の話は、わが国では古く風土記の記事や、万葉集、日本書紀などにも出てくることは、すでにこの延寿通信でも紹介しました。もともと、温泉というのは日本全国、各地にあって、近くの農民たちが利用していましたので、ことさら、大衆化というほどのことはないのですが、本書では特に有馬や熱海などの有名な温泉に庶民が押しかけてゆくことに、スポットを当てているのです。

 大衆化は江戸時代からと、言っているのは、そのような庶民の動きを捉えているからです。江戸という時代が、このときになって、庶民の旅行を許す背景が、たとえば道路事情、宿の充実、戦乱時代が終わり平和な日常が戻ってきたことなどが、充足されてきたからとも言えます。

2.家康がブームを広げた

 徳川家康は、武士の出とはいえ、好奇心大で、文武両面に深い理解を示しました。製薬、調剤にも興味を示して現在もたくさんの道具や資料が残っております。ただそれだけであれば、織田信長も豊臣秀吉も、そのような珍しがりやの一面はありました。権力者のきまぐれというものでしょう。しかし、家康のころとなると、世の中は戦乱の時代から離れ、次第に平和な時代に移りつつありましたので、大衆文化には花開きやすかったといえます。

 家康は関が原の戦いから4年後の1604年に熱海の温泉に出かけて逗留しています。温泉学の筆者松田氏は、この年を温泉文化の始まりのときとして特記しております。家康は湯治の目的で出かけました。将軍の江戸からのわざわざのお出ましは、この熱海の温泉の名を一挙に広めることになり、将軍様ご愛用の温泉ということで、評判はたちどころに伝わりました。

 信玄、謙信にしても、もともと大名というか、戦国の武将たちは温泉で療養することが、お好きだったようです。心身の疲れを癒すのは温泉に限るというのでしょう。

 秀吉の通った有馬温泉も同様に有名で、今なお、太閤の湯は有馬温泉に跡を残しており、語り草になっております。

 熱海温泉というのは、家康の来るまでは、地方のあたりまえの一温泉であったようで、何ゆえ家康がわざわざ熱海へ行ったのか、それは明らかではありませんが、それ以降、家康は熱海の湯を江戸や地方に送ったりして、熱海の湯を大事にします。そして、家光はじめ、子孫が滞在する御殿を築き、徳川一族のみならず、これを諸大名が利用します。熱海温泉は温泉街として湯戸(温泉旅館)が増えて急速に発展します。

3.湯治と東洋医学

 温泉につかるということは、元来、病気の治療を目的としていた、というのが温泉学の筆者松田氏の主張ですが、それは本通信でもたびたび取り上げてきたところです。これを湯治(とうじ)といっております。

 家康も熱海温泉は湯治の目的で来ております。温泉学では温泉文化の開花をこの熱海の温泉に求めています。そこまで温泉の存在を拡大解釈するのであれば、湯治にも2種類あり、いわゆる疾患の治療と、体調を整え心身を癒す休養という名目の湯治もあったのではないか、ということ、しかも、この江戸時代には、後者の心身の癒しを重視し始めたことに注目すべきでしょう。ただし、これは延寿通信の意見であります。ここまでは「江戸の温泉学」には書いてありません。

 温泉の効果というか、利用について、本書の筆者松田氏は江戸時代の漢方医の発言を積極的に取り入れております。それは、温泉が湯治のためのものであるからですが、医師が患者に温泉の利用方法を細かく論じていることを、温泉学では再三取り上げています。

 温泉の利用法は医師が説明している割には、情緒的でありますが、当時の医学は漢方薬による治療、生薬の薬効と同じく、経験的に知識を集積しているので無理はありません。 貝原益軒(1630-1714)は江戸時代中期の医師、儒学者、植物学者でもあり85歳という当時では珍しく長寿で、晩年まで活躍しました。江戸時代の家庭医学書でもあった「養生訓」という書物は、益軒の亡くなる前年の本ですが、当時はベストセラーになりました。

 その中で益軒は入浴の方法を述べておりますが、江戸時代の医師の発言としては大差はありませんので、益軒の入湯法の一部を引用しましょう。ここでは現代文に改めます。

 「湯治しているとき、酒はほどほどにする。気分が優れ、食が進んでも大食は禁物。酒に酔って湯につかってはいけない。湯からあがって、すぐ酒を飲むのもよくない。味の辛いもの食べない。熱性、寒冷のものはともに食べないで、負担にならない軽いもの、魚や鳥を少しずつ食べる。セックスは厳禁。2週間はしてはいけない。時々軽い運動をして体を動かし、腹をへらすこと、昼寝はしてはいけない。・・・・・」

 湯治というのは、通常は7日を単位とし、ぬるい湯に1日1~2回、30分程度つかるぐらいですから、さほど過酷な入湯方法ではないのですが、一般に医師の説明は上述の文言とよく似ております。湯治は体力を消耗するものとみられていたのでしょうか。それともかなり弱った病人を頭に描いているのかもしれません。やや不可解なところです。

4.香川修徳と後藤艮山

 香川修徳(1638-1755)と後藤艮山(1659-1733)はともに江戸時代中期の代表的な医師で、今日多くの業績が残されており、わが国の漢方の発展に大いに寄与いたしました。

 このお二人がとくに温泉の効用に目を付けて、湯治について、かずかずの助言をしております。冒頭にも取り上げましたように、「江戸の温泉学」では、この著名な漢方医の発言を重く見ております。

 温泉医学では後藤艮山(ごとうこんざん)が先にあり、香川修徳より若かった後藤艮山が、修徳の先生になっています。両者の温泉医学にはつながりがあり、ともに城崎温泉を絶賛しております。本書では温泉医学の祖は後藤艮山であると明記しております。

 両医師とも、治療に温泉の利用を患者に奨めているのが、当時としては新鮮なのです。後藤艮山は、皮膚病、特に梅毒の治療、あるいは心身の疲れに温泉療養を奨めております。香川修徳の場合、温泉の効能は「心気を助長し、体を温め、古血を除去し、血の巡りをよくし、肌のきめを開き、関節を滑らかにして・・・・・」この後いろいろの疾患が並びます。この文章の冒頭の「心気を助長」このあたりが、いかにも東洋医学的であり、温泉文化につながってゆくところです。

 参考までに、香川修徳の主著は「一本堂薬選」であり、生薬そのものの性質・鑑別、治療における使い方などが述べられた名著です。また、後藤艮山の著述は少ないのですが、艮山は古い医学を学んで、そこへ自らの説を取り入れて独創的な医療を確立して、多くの門下生を育てました。後藤艮山は病気の治療には薬剤よりも飲食の指導、看護法に重点を置いており、温泉もこの中に加えております。

 「江戸の温泉学」では後半は温泉の泉質、分析のことなど、江戸時代末期の化学者の活躍が紹介されますが、これにつきましては本書におまかせいたします。

<参考書>

松田忠徳:江戸の温泉学、新潮社(2007年)
田山花袋:温泉めぐり、岩波書店(2007年)
大塚敬節ほか:近世科学思想 下、岩波書店(1971年)