中国の温泉の話 「中国温泉探訪記」を読む

 先月号で「江戸の温泉学」(松田忠徳)を取り上げて、温泉学を学んだのですが、その際紹介した田山花袋の「温泉めぐり」(岩波文庫2007年)、「中国温泉探訪記」(桂博史、岩波書店2007年)は、なかなか読み応えがあります。特に後者の「中国温泉探訪記」は秀作です。この「中国温泉探訪記」は、たしかに探訪記であり、温泉学とか、温泉文化という言葉は掲げていないのですが、それがにじみ出てきています。これこそ温泉文化ではないかと思いました。逆に、「江戸の温泉学」(松田忠徳)は、これらの本と比較すると、やや意識過剰で、表題に反して見劣りがします。

 中国の温泉事情は、これまでわが国ではあまり知られていなかったせいか、新鮮に受け止めることができます。筆者の桂博史氏は夫婦でこまめに中国の温泉地を歩いて、広く取材しているので、見聞が多く集められています。

 今回は前回に続いて、注目の新刊書、「中国温泉探訪記」(桂博史、岩波書店2007年)を取り上げて、中国の温泉にご案内いたしましょう。

1.空前のブームという中国の温泉

 中国の温泉というと、何分にも広大な土地のこと、風光明媚なところにある温泉を頭に描いていたのですが、現在、ブームになっているというのは、日本で言えばレジャーランドとか、広大な遊園施設のあるテーマパークのような中にある、レジャーのための温泉です。このような温泉がはやりだした源泉は日本にあるといわれています。オリンピックを目の前に控えて、しかも好調な経済発展期にある中国のこと、レジャーに積極的に投資がなされている一面は理解できます。

 このようにレジャー化する以前の温泉といえば、療養を目的としたいわゆる温泉療養院というタイプのものが主流であったようです。温泉療養院というのは医療と密接につながった温泉で、わが国で言う湯治場とはやや異なり、病院、治療の施設が整っております。温泉療養院は、現在もなお各地にあって、レジャー温泉とともに広く利用されております。

2.「温泉」という言葉は中国の歴史で生まれた

 「温泉」とか「湯」という意味の用語は7~8世紀の中国では、日本でいえば奈良時代ですが、このころにはすでに使われておりました。もともと文字通り、中国では温かい湯の出てくるところを温泉といっているといいます。わが国の風土記や日本書紀では「温湯」が使われていましたが、万葉では「温泉」という字句が出始めます。本書では「温泉」という用語の起源は、中国由来であって、それが日本に伝来したのであろうと、説明されております。

 古代の日本では、そのままこの中国伝来の用語使っていたのではないかというのが、著者の説です。前回の「江戸の温泉学」では、温泉という言葉は庶民の間では江戸時代に使われ始めたということでした。

 中国の古典による古代の温泉とは何かといいますと、本書では、1500年以上前の中国の書物『水経注』を引用して、次のように説明しております。

*多くの疾患をなおす
*湯治では沐浴と飲用とが含まれる
*温泉には信仰の対象である廟がある。
*高温の温泉は米を蒸したり、豚、鶏を茹でる。
*促成栽培にも利用する
*集魚効果を使って漁撈もしている

 人間の沐浴が本位であるわが国の温泉とは、かなり異なることがお分かりでしょう。

 それは中国では温泉を「熱い湯の出るところ」と解釈し、入浴のみを目的としていないからです。

3.湯治はどうなっているか

 この中国の温泉探訪記の中味は、流行のレジャーランド温泉ばかりではありません。むしろ、歴史のある伝統的な田舎の温泉も取り上げていますが、それらはいずれも、もともとは治療を目的にしていたようで、これはわが国の場合と同じです。

 しかし、「湯治」と言う言葉は日本製であって、中国には、この言葉はないそうです。湯治という言葉は日本では平安時代には出てくるものの、実際に庶民が湯治をするのは、幕末から明治にかけてであるというのが、本書の筆者桂博史氏の主張です。湯治を筆者は厳格に解釈し、医療行為とみているようです。したがって、古代に農山村で住民が治療のために温泉に入っていたというのは、湯治ではないのです。湯治とはルールに従い、費用と暇のいる行為であって、農山村の庶民のできるものではない、と説明しています。

 現在の中国の温泉地には療養に適しているところでは温泉療養院という名称で温泉をよぶことがあります。ここには温泉病院、治療所などがあって、治療だけでなく、新しい治療の研究や臨床実験なども行われているといいます。療養温泉というのは明の時代、中世にもあったといいますが、療養に本格的に取り組んで、診療施設などを作るのは20世紀以降、近代になってからのようです。

 日本で行われている湯治は、中国の田舎、奥地の温泉にて行われているようですが、それは現地では療養であって、湯治といいません。湯治のルールというものが確立していないのでしょう。そこまで進むと中国には温泉療養院というのがあります。

4.温泉の入浴習慣の違い

 これは驚きなのですが、家畜や動物を殺して食肉にする場合に、温泉が使われております。鳥の毛をむしるのもこの温泉ですると、むしりやすいのだそうです。驚きというのは、家畜の息を止めるのに温泉に漬けるということが日常茶飯事に行われていることです。

 もっとも、これは都会の温泉ではなく、山村の温泉のことです。先に紹介した「温泉」という字句の解釈の違いでしょう。

 また、中国の温泉場では、洗い場で石鹸を使って身体を洗い、身体についた石鹸を洗い落とさずに、泡のついたまま浴槽に入るのが通常の入り方だそうです。これが、わが国の温泉・銭湯であったら、許されないでしょう。ホテルなどの洋式の風呂は、一人で入って、適宜、浴槽内で石鹸を使い、後はすぐ浴槽の湯は落としますので、別にほかの人に不快感を与えません。かつての欧州では、風呂で瀉血といって血液を放出させることを平気でしており、洗い場には血液だらけというのがあったそうです。こういうのは、国民性というか、生活習慣の違いですので、それぞれの環境の中にどっぷり漬かってしまえば、違和感はなくなるでしょう。

 温泉の浴場は当然、男女別で、混浴は厳しく規制されております。儒教の国だからそうです。温泉によっては男湯しかなく、女性は家庭の風呂で、というところがあったり、浴槽が1箇所しかないので、時間あるいは日にちで男女の入浴時間をかえるところもあります。また、古来の習慣を大事にしている河南省のある山村の露天風呂では、かならず裸で入らねばならないというきまりがあって、男女が決められた日時に別々にはいるのですが、何の障壁もない露天風呂に伝統を守って女性が堂々と入浴しているところもあるといいます。

 漢方や入浴剤も使うところがあるそうです。どういう生薬をどのように使っているのか興味あるところですが、これについては詳しい記事は出ていませんので、残念ながら略します。わが国ではかつて、入浴剤を温泉が使っていて大問題になり、いまでは温泉で入浴剤を使用することはなくなりましたが、そういう意味のごまかし入浴剤ではなく、生薬など漢方に基づいたもののようです。

 以前に本通信で取り上げましたが、入浴というのはもともとは信仰ともつながっています。中国の温泉にも祠があって、神仏像にお参りしたり、あるいは経を唱える場合もあるようです。このあたりはわが国の温泉場でも同じこと、共通しております。

<参考書>

桂博史:中国温泉探訪記、岩波書店(2007年)