薬浴発展史―本場中国の薬湯の歴史

 入浴剤の処方にはいろいろ系統がありますが、大きく分けられるのは温泉の成分を基準にしている無機塩類タイプと、もう一つは宗教の香薬に起源をもつ生薬(薬用植物)の薬湯タイプです。

 温泉タイプの入浴剤は、化学の発展とともにあるので、比較的新しく、明治以降の誕生になり、とくに温泉の豊富な日本で育っております。しかし、延寿湯温泉のような生薬タイプの薬湯には古い歴史があります。

 現在の漢方医学、東洋医学の元祖中国では生薬の処方・使用には長い歴史があり、人によっては4000年の歴史という場合もあるほどです。生薬の薬湯タイプにはこの漢方の歴史による古い、古い生い立ちがありますので、簡単に足跡をたどって見ましょう。

 はじめに、使用する用語について説明しておきます。中国では入浴の際に生薬を入れる場合、「薬湯」というよりも「薬浴」という言葉が使われております。ここでは通常は薬湯(くすりゆ、やくとう)を使いますが、中国の例を取り上げるときには薬浴を使います。一方、中国医学では「湯液(とうえき)」という用語がしばしば出てきます。湯液というのは、通常は煎じ薬(せんじぐすり)を意味して、ちょうどお茶のように、生薬を湯で煮詰めて液を内服することを言います。これは中国の医学では基本的な薬の内服方法であって、薬湯とは関係がありません。

1.中国古代の古典の記事

(1)古代の薬浴

 中国では、歴史以前、殷の時代、甲骨の中に「浴」という字が出てきているといいます。この浴という字はもともと廟に祈るために禊(みそぎ)をするという意味からきており、それが今日「湯に入って体を温め、また、洗うこと」の意味になりました。この時代にすでに湯に漬かるということが行われていたことを意味します。

 屈原(BC4世紀ごろ)の『楚辞』は中国文学の源流になっていますが、この『楚辞』離騒の中でヨモギを香りの草として身に着け、大事にされています。これが、5月5日の端午の節句のヨモギ湯につながってゆきます。端午節句の薬湯は民間の習俗で受け継がれていますが、わが国では、この話は菖蒲湯となって武勇に優れた男児の成長を称えます。菖蒲湯は屈原をモデルにしているといわれております。

 『山海経』(せんがいきょう)という本は3世紀頃の中国にて発行された一種の地理書なのですが、なにぶんにも古代のこと、怪しげな鬼神、草木、鳥獣、虫魚などがぞろぞろと登場します。この本の中に、薬湯の記事が出てきます。

 たとえば次のような一文があります。

 「竹山という山には頂上に高い木があり、山の北には鉄が多い。草がある。その名をオウカンという、その形状はオウチ(センダン)の如く、その葉は麻のよう、白い花に赤い実をつけ、性状は赤土の如くで、これを湯に入れて漬かると疥癬(かいせん)がなおる」

(2)医療の書『五十二病方』の薬浴

 さすがに中国には医書の古典が沢山あります。その中でも『黄帝内経』は紀元前5世紀で医書の最も古いものとして挙げられますが、ここには薬浴は出てきません。次に挙げられる古い医書が『五十二病方』で、これは紀元前2世紀です。この書はつい先ごろ、1973年に馬王堆の古墳から出土した書物で、世間に出てきたのはまだ新しいものです。

 この書に薬浴が出てくるのです。おそらく、薬浴では最も古い部類にはいるでしょう。参考までに、この頃の日本はまだ文字がなく、弥生時代の穴倉生活で、入浴には縁遠い暮らしをしていました。温泉に漬かる、薬草を入れてみる、と言うことはあったかもしれませんが、何分にも記録がありません。

 『五十二病方』には湯という文字がしばしば出てくるのですが、たとえば、洗浄するために湯を使う、あるいは薬物を湯通しするために湯を使うなどですが、薬浴としては次のような記述があります。

①これはすねの傷が、膿んでつぶれ、膿が流れているのを治療する方法ですが、水に薬用植物を3種(不明)入れて、これを煮て、湯に足をつけるとなおる、という記事です。

②疥癬の場合は桃の葉を水にいれて煮る、3回煮て湯にする。

 桃の葉は今日もわが国では薬湯の材料として用いられておりますが、この場合の桃の葉は薬としてよりも、呪術的な使い方であるといわれております。桃という植物は、中国では魔よけの植物として、元日に飲用する習慣もありました。

 『五十二病方』には247種の薬用植物が出てきます。使用例は種々ありますが、外用としての使用では薬浴以外に 軟膏のような貼り薬、烟薫、蒸気薫(薬物を熱であぶりその蒸気をあてる)熨法(薬物を粉末にして炒って患部にあてる)あるいは按摩法なども出てきます。

 唐の時代になると、『黄帝内経』の解釈書がぞくぞく出てくるのですが、薬浴につながりの深いのは、『千金翼方』(652年完成)と『外台秘要』(752年に編纂)です。

 『千金翼方』には女性の美容のための処方なども並んでおります。この場合、入浴というよりも顔はじめ身体各部の洗浄方法に詳しいといえます。もう一つは香りの高い薬用植物を、防虫はじめ暮らしに使ってゆくことも出てきます。

2.薬湯の発展

 薬剤を外用として用いるのは、たとえば軟膏の塗り薬がその一例ですが、これは先の『五十二病方』においても詳しかったように、薬浴と深いつながりがあります。その中には外部から薬剤をいろいろに処理して、患部に届けようとする工夫でもあります。それが、医療書ではいろいろの風呂の入り方であり、別の言葉で言えば、薬剤の与え方でもあります。

 これは中国医学の外科的療法の中軸で、独特の発展をしております。単に薬剤を患部に与えるだけでなく、清潔、予防、保健などの目的も加わります。この方法を行うためには患者・医師が一緒になってしますので、薬浴は中医外科と相互依存、相互発展してゆくことになります。

 さきほどの5月5日 端午節句の屈原によるヨモギ湯のたぐいが、周の時代には広く民間にも普及します。1年中の特定月に沐浴し、5月に香りのいい植物を煎じて沐浴することもおこなわれました。

 中国の当時の宮廷では香り豊かな植物を袋に入れて池に漬け、冬といえども一定の温度に保って、入浴を楽しむこともありました。温泉に薬草を入れて漬かることになります。温水浴ともいっておりました。

 宮廷外では寺院の浴室を僧侶は仏粗崇拝の場として、沐浴は日常生活に欠かせない重要な修行となりました。浴槽には薫り高い薬草を浸し、寺院の浴室は浴堂といいました。この宗教行事の伝統は奈良時代にわが国にも伝わっており、東大寺や興福寺などにて往時を偲ぶことが出来ます。

3.近代の薬浴

 中国の宮廷や寺院などの限られた人たちによる薬浴は、近代になって人々のなか広く行き渡りました。日常の農家の暮らしの中にも普及しました。薬浴は特定の疾患にというのではなく、疲労回復や精神的な疲れを癒すのにも用いられました。この場合、薬浴にどのような薬用植物が用いられたかについては定められた処方はなく、どちらかといえば、民間医療的に身の回りにある植物、たとえば、桃の葉、ヨモギ、菖蒲など、香りのあるものが愛用されていたようです。

 今日の中国では薬浴は各地で広く用いられており、薬浴の医学書も出ております。しかし、わが国のように入浴剤として特定の処方のものが薬局で一般に発売されているのかどうかは、明らかではありません。

(1) 薬浴の方法

 薬湯、厳密には中国における薬浴では風呂に全身を浸すだけではなく、次のようにいろいろの方法があります。

①蒸気浴 患部に蒸気をあてる
②沐浴法 浴槽の薬湯につかる
③浸洗法 患部を薬湯につける
④熱敷法 薬液を浸した暖かい布をあてる 温シップ
⑤冷敷法 この場合は冷たい布による 冷シップ
⑥熱炙法 薬物を熱で暖めて袋に入れ、患部にあてる

(2)薬浴に用いられる薬用植物の一例

 民間に広まった薬浴では、とくに漢方で使われる薬用植物は用いられませんが、医療の立場での医師のかかわる薬湯では、たとえば肩の凝りや腰痛などの場合には次のような薬用植物が使われます。この中には、わが国の入浴剤で使われる植物とはちょっと異質で、みなれないものがありますが、解説は省きます。

マオウ(麻黄)、ケイシ(桂枝)、ケイガイ(刑芥)、ボウフウ(防風)、シンイ(辛夷)、サイシン(細辛)、ハッカ、ゴボウシ、センタイ、キクカ(菊花)カッコン(葛根)

 漢方の本場、中国では中医学・中薬学の伝統医療は西洋医学の導入とともに融合して、国民の間に展開されており、薬浴は医学の世界でも論じられております。

 入浴剤というのはわが国の独自の製品ではないようですが、本場中国でも、入浴剤の商品を見かける機会が今後、もっと増えてくることでしょう。

<参考文献>

伝維康ほか:中国医学の歴史、東洋学術出版社(1997)
山田慶児:中国医学の起源、岩波書店(1999)
星川清孝:楚辞、明治書院(1972)