世界一の風呂好き民族誕生の謎? 『風呂と日本人』を読む

 「日本人は世界一の風呂好き民族である」というのですが、いかがでしょうか。これは最近、刊行された文春新書『風呂と日本人』の帯の宣伝文句です。

 たまたまこの本の出たころ、筑摩書房のPR誌『ちくま』(2008年5月号)に、次のような本の広告が出ていました。

 『風呂とペチカ―ロシアの民衆文化』(群像社、2008年4月発刊)は「ロシアの人はお風呂が大好き。ペチカや風呂小屋に入って蒸気を浴びて汗をかき、からだをたたいてリフレッシュ。・・・・日本初の本格的ロシア風呂案内」とありました。

 風呂の好きな民族は、何もわが国だけではなさそうですが、たしかに日本人は世界一の風呂好きなのか、本書『風呂と日本人』を読んでご判断ください。

 『風呂と日本人』(著者:筒井功、文藝春秋社、2008年4月)は先日、朝日新聞の書評欄にて紹介されました。今回は本書の一部をここでご紹介いたしましょう。

1.風呂の発端

 風呂の始まりというのは、その端緒を見出すことがなかなか難しいのです。水を浴びて身体を洗う、湯に浸かるのは、ある日突然、始まるものではなく、日本のどこかで、生活の習慣としてあちこちに生まれる、そういう性格のものだからです。日本の各地には古くから温泉があって、奈良時代の風土記に記述されているように、歴史以前からの習俗として温泉は利用されています。また、暑いときに、あるいはからだを洗うために、川や海に浸かるのは、これまた人間の自然の行いであり、水を浴びて身体を洗う、湯に浸かるのに独自の方法にてするような行為でもありません。

 そういう状況のなかにあって、あえて風呂の始まりを追及するということは大変な仕事です。発端を探るには、先ず、用語をきちんとしておかないと混乱します。『風呂と日本人』の著者、筒井功さんは、はじめに風呂の言葉の説明に、ページを割いています。

 本書では、風呂のルーツを探るというので、著者は全国をくまなく歩き、現存する風呂や、風呂の遺跡を訪ねます。それは、それは膨大な仕事です。この本の特徴は、この風呂の探訪にあるといってもいいでしょう。

2.風呂とは何か

 今日、われわれの暮らしで風呂といえば、浴槽の湯に浸かって、身体を温めて汗を流し、出て、洗い場で汚れを落とすタイプを頭に浮かべるでしょう。家庭の風呂、銭湯、温泉のいずれをとっても、大部分の方は温湯タイプの風呂を思い起こすことにさほど抵抗を感じません。なかにはサウナのような蒸気浴を頭に浮かべる人、あるいはシャワーをざっとかぶって、これにて風呂を済ませてしまう人もいるでしょう。

 しかし、江戸時代までは、「風呂」というのはサウナ式の蒸気浴・蒸し風呂のことをいい、今日の浴槽に湯に浸かるのは、「風呂」ではなく、「湯」といい、「風呂」と「湯」は、はっきり区別されていました。ここでは誤解を招くといけませんので、江戸時代以前の風呂を取り上げる場合には、「風呂」と「湯」のようにカッコをつけることにします。

 したがって、風呂の歴史をたどるには、「風呂」と「湯」を別々に取り上げて考えないとややこしくなります。

 わが国の「風呂」のルーツは蒸気浴であるというので、著者は、このタイプの「風呂」を中心に取り上げ、歴史的、地理的な変遷を調査しています。

 この蒸気浴、「蒸し風呂」に入るには独特の設備、構造を必要とします。遺跡として蒸気浴のための構造物が残るので、ある程度、起源を探ることを可能にします。

3.蒸気浴とは

 さきほど、蒸気浴の例にサウナと申し上げましたが、蒸気浴はこれまで本欄ではほとんど取り上げておりませんので、簡単に説明しておきます。

 蒸気浴は蒸し風呂ともいわれて、湯に浸かるのではなく、一定の空間に蒸気を満たして、そこで身体をあたため、汗をかいて蒸気部屋から出て湯や水をかぶり、洗います。

 蒸気の発生方式にはいろいろあって、歴史的な方法は部屋というか、囲まれた室(むろ)の中で火をたいて、灰を掻き出した後に、床になっている石に水をかけ、この上に濡れたむしろを敷いて横たわります。室の中は蒸気で満々です。水をかける代わりに海水を使うと健康に好いというので、海辺に近いところに「風呂」用の室の作られる場合は多いのです。蒸気は通常は焚き火にて何時間もかけて石を真っ赤になるほど焼いて、水をかけます。

 このような「風呂」を石風呂と呼んでいますが、ほかに岩風呂、あるいは釜風呂などと呼ばれる場合があります。ただし、釜風呂というのは由来が石風呂とは若干異なるようです。蒸気浴をするには蒸気を満たすための密閉した小部屋(室)を準備しなければなりません。そこでは材木や、枝、葉、海藻などを大量に焚くので、不燃性のがっちりした構造が求められます。

4.わが国の風呂の発端はどこか

 著者は四国の海辺の「風呂」、ここでは石風呂の跡をたどり、香川県で、あるいは瀬戸内海の島々で、たくさんの石風呂、大部分は遺跡を発見します。遺跡というのは、現在は使われていないで、石で組んだ室、岩をくりぬいた室などをいいます。写真で見ると頑丈な構造物です。たとえば、本書の最初に出てくる香川県さぬき市の塚原の「から風呂」は奈良時代の僧行基が築いたという伝説があり、文献には江戸時代1749年に使われていたというのが出てくるそうです。この「風呂」は、2007年3月まで利用されていました。香川の石風呂では古いものでは15世紀半ばにはあったといいます。

 日本で一番有名な石風呂というのは、愛媛県「桜井の石風呂」で江戸時代初期に作られており、現在も夏場は毎日、火が入り、多くの人が利用しております。

 伊勢も「風呂」の多い土地であって、たくさんの風呂跡が残されています。江戸時代初期に、最初の銭湯が江戸に生まれたといわれておりますが、この銭湯には伊勢の人物がかかわっております。

 筆者は各地の残された「風呂」を調査して、発汗浴というタイプに集約し、次のようにこれを分類しております。

発汗浴→熱気浴と蒸気浴

 熱気浴→炭焼き型(香川県に例あり、以下同じ)
    →岩窟型(愛媛県)
    →石積み型(山口県)
    →オンドル型(大分県) 

 蒸気浴→伊勢風呂(三重県)
    →塩石(大分県)
    →温泉熱型(大分県)
    →寺院の浴室(奈良県)

 ここで紹介されている奈良の寺院の浴室は、奈良時代には温湯方式、すなわち、浴槽に湯を入れる今日の銭湯タイプであった形跡もあり、どちらのタイプであったのかは、はっきりしないといいます。著者は日本の風呂の始まりで文献・史跡で確認できるのは中世以降であると述べており、奈良時代のころに朝鮮から伝来したのではないかと推測されていますが、それがどのようなルートで来たかは不明になっております。

5.日本人の風呂好き

 各地の風呂という字のつく地名を中心に、著者の探訪は続くのですが、結局、わが国の「風呂」発祥の地、時代は、となると、本書の記述は必ずしも明快ではありません。さらに、なぜ、初期には石風呂が広く出回っていたのか、残念ながらはっきりしません。「風呂」の設備・構造は単純であり、焚くのが手軽というか、扱いやすかったためではないかと推察されるのです。温湯方式となると、給水装置、湯を張る桶というか、浴槽、それに何よりも釜の発達、釜は鉄の巨大な鋳物であり、これがないとできませんので、初期の段階では農山村には縁が無く、勢力のあった一部の寺院に限られます。

 各地の農漁村の人たちが、それぞれ手軽に蒸気浴で身体を休め、清潔な暮らしを楽しむために、「風呂」施設の普及を考え出しました。各地でこれが展開されたことを本書で知り、日本人の風呂好きがここに芽生えたのかと思いました。

 本書では歴史上は蒸気浴の「蒸し風呂」があくまでも風呂の主役であり、中世以降に「温湯浴」が出始めたというストーリーになっており、わが国の風呂の元祖は湯浴み方式ではなく、蒸し風呂であり、その遺跡が意外と多いことを教えてくれます。

 蒸気浴の「風呂」には、一見入浴剤は無縁のように思われますが、そうではなく、江戸時代には蒸気を発生させる床にヨモギを敷いたり、ショウブのような芳香を出す薬草を並べて香りを漂わせる蒸し風呂がありました。入浴剤 延寿湯温泉のような生薬風呂には長い伝統があります。香りを大切にする入浴剤の誕生はここにあったのかも知れません。

 本書『風呂と日本人』は全国各地の「風呂」の遺跡、地名などが実に細かく調査されています。本書を読めば「風呂」にかかわる懐かしい土地、「風呂」の跡に、出会う機会があるかもしれません。お風呂大好き、歴史地理も大好きという方には興味深い本です。

<参考文献>

筒井功:風呂と日本人、文藝春秋社(2008)
早川美穂:お風呂大好き、生活情報センター(2004)