柚子湯(ゆずゆ)の話

 冬至といいますと、今では柚子湯がすっかり定着してきました。柚子のいい香りが浴場に漂い、なんとなくぽかぽかして温まった感じがいたします。

 入浴剤 延寿湯温泉には、柚子そのものではありませんが、それに近いミカンの皮(陳皮=ちんぴ)が配合されておりますので、同じような効果が期待できます。

 なぜ、冬至に柚子湯なのでしょうか。いろいろ調べてみたのですが、極めて文献少なく、これは難物であることが分かりました。

1.柚子(ゆず)が日本に入ってきたのは、いつごろか

 柚子は奈良時代には中国から入り、それ以来わが国で栽培されてきたというのが定説のようです。この時代に到来しているのであれば、医薬・食用ではないかと思うのです。というのは、沢山の医薬用植物が奈良・飛鳥の時代に唐から来ているからです。中国最古の本草書である神農本草経(480年ごろ)にはミカンの類では橘柚(きつゆう)と枳実(きじつ)の二つが収載されておりますが、これらが今日の何にあたるかについては諸説あります。従って、柚子の到来と特定することはできません。

 奈良・飛鳥時代といえば柑橘類はどこまで区分けされていたのか、ダイダイ、タチバナ、ミカン、ユズは果たして区別されていたのか疑問です。日本と中国とも名称に食い違いがあるようです。

 江戸時代の本草の書物によると、その混乱振りが良くわかります。混乱というのは中国の名称と日本の名称との食い違いです。原産国として中国の古典の記述は大事にされているのですが、日本への到来が古いこともあって、また、日本にもともとあったかもしれない柑橘類とがごちゃごちゃになったのでしょう。こういう現象は何も柑橘類に限ったことではなく、ほかにもいろいろ例があります。しかし、江戸時代中期に入って、わが国としての分類が確立したようです。小野蘭山は江戸時代でも近代に近いところにいて、確かな記述をしております。

 (1)「本朝食鑑」人見必大 1697年刊

柑橘類の記述に混乱があります。橙=ゆず、柚=橙 

 ゆべし、湯味噌、ゆひしお もともと調味料である

(2)「大和本草」貝原益軒 1709年刊

橙(だいだい): 蚊いぶしなどに使う 
柚(ゆず)  : 京都にあり、味はよくない
橘(たちばな): みかんも含まれる ちんぴは薬用

(3)「本草綱目啓蒙」小野蘭山 1803年刊

柚 食用とせず 柚子湯に使うという記載はない

(4)現在、広く使われている「牧野和漢薬草大図鑑」北隆館(2002年刊)には次のように記述されています。

「ゆず Citrus junos Sieb. ex Miq. 中国原産 果実はキジツ、またはキコクで薬用 浴用にも使う」

 

2.冬至はいつごろから 暮らしに入り込んできたか

 冬至が中国で宮廷行事として定着していたのは、一つには冬至が、これからいよいよ春を迎えるという、再生、誕生という意味がこめられ、おめでたい行事として祝福されてきたからです。

 わが国の昔の生活にどこまで冬至が浸透していたかにははっきり分からない部分があります。奈良・平安の時代に伝わってきたものの、まったくわが国には受けいれられず、平安から室町、江戸時代以前の日本では、ほとんど冬至行事を無視しています。現在の中国の学者はなぜ日本には冬至行事が宮中で行なわれなかったのか、不思議であるといってます。

 そうなると、民間に冬至が広まってきたのはいつごろでしょう。

 江戸時代後半から明治はじめではないでしょうか。それは江戸時代の俳句歳時記に民間行事としての冬至が出てこないからです。

(1)最も古い歳時記「毛吹草」(1645年刊)には冬至は出ていません。
 ついでにこの本には「ゆず」という項目にはひび・あかぎれに使うという意味の記事はありますが、湯に使うとはありません。「菖蒲」には湯があります。

(2)日本歳時記(1687年刊) 貝原益軒
 5月5日の菖蒲湯については詳しい記事がありますが、しかし、ゆず湯については記載ありません。冬至は旧暦11月半ばとあり、古来の行事についての記載がありますが、ゆず湯の記事はありませ。冬至行事はどちらかといえば中国の宮中行事を紹介し、民間レベルではありません。

(3)曲亭馬琴の「俳諧歳時記栞草」(1803年刊)
 冬至はありますが、宮中行事的叙述です。旧暦では冬至は11月中旬です。この本には菖蒲湯の記事もありません。

(4)江戸時代の冬至の句
 蕪村、其角には冬至を詠った俳句はありますが、民間に馴染んだ行事という感覚はありません。また、江戸時代後半の川柳に「ゆずの香の匂う冬至の朝湯かな」があると書物に出てくるのですが、出典があきらかではありません。

3.柚子湯の起源

 冬至といえば、いまでは冬至粥、かぼちゃ料理、それに柚子湯が民間では広く普及しております。大阪の銭湯では、毎年柚子湯サービスが行われております。この日に柚子湯につかるとひび、あかぎれを直し、かぜを引かないと書いております。

 一般的には、寒い冬の夜、柚子湯で体を温めて、元気一杯、新しい太陽(この日を区切りとして、日照時間が日一日と長くなることをいう)を迎えようと、祝いの気持ちの込められた、一種の健康法であるといわれております。立春とは別の意味で春待つ心を表しているようです。ちなみに旧暦の冬至は大体、11月15日ごろでした。

 東京新宿区のある寺社では、冬至に招福祈願をして、金柑、銀杏、柚子を参拝者に配り、金銀融通の語呂合わせにしているという説もあります。この柚子は柚子湯に使うのだそうですが、これは由来としては限定されているようです。

 菖蒲湯にしても、柚子湯にしても、江戸時代は風呂屋さんが中心で、家庭の風呂というのは大名クラス、豪商クラスの話であって、都会の庶民のところにはまず風呂つきという家はありません。江戸時代、風呂屋さんは生薬を浴槽に入れて客にサ-ビスすることはあったといいます。そうすると、歴史的には菖蒲湯とか柚子湯もそのうちの一つであって、都会では家庭の風呂が対象ではないと考えるべきなのでしょうか。

 ただし、農村の一部では京、江戸、大坂などと比べ、家庭風呂が普及していたようですので、ここで行われていた可能性はあります。

<参考文献>

  • 木村孟淳「漢方の生薬学」不知火書房(2001)
  • 北村四郎「本草の植物」保育社(1985)
  • 岸本修「日本の果物と風土」古今書院(1992)
  • 大塚民俗学会「日本民俗辞典」弘文堂(1972) ・長沢利明「江戸東京歳時記」吉川弘文館(2001)